昨日仕事で暇なのでなんか海運について調べてたら、何故か株式会社の歴史について調べてました。ウィキペディアとかで。
なんか歴史の授業でやりましたね、東インド会社。
世界最初の株式会社だとか。
でもまぁ、ふ~んみたいな感じで、特に気にもして無かったです。
別に東インド会社なんて現代では特にどうでも良いですしね。
ただ海運をしているとなぜ株式会社を作ろうとなったのか。
その部分の説明を読んでみるとまぁなるほど、商人が自分で船持って、燃料買って、大陸間を渡るのはそれはそれはリスクが大きかったみたいです。
難波、海賊、沈没、遭難。
なにか起こったら瞬時に破産です。
当時返せないような借金背負ったらどうなるんでしょうねぇ。
まぁとにかく、リスク分散の為に株式会社が出来たんだとか。
なるほどね。
いやぁ、投資家はリスクを引き受ける人って言うけれど、実際そのリスクを引き受ける行為ってなんか社会的に意味があるの?って実は疑問だったんですよ。
確かに僕が突然宇宙ロケットとか開発する会社創るって言っても、まず資金が足りませんが。単に資金を渡すってだけじゃないんですね。
そもそも何の事業であれ、「少しでも上手くいかなったら即人生詰み」とかなら事業をするの怖いですもんね。
少額で始められるスモールビジネスもありますが、世の中スモールビジネスだけになるのは流石に困りますか。
それこそYouTuberとかVtuberとか、大きなYouTubeっていうビジネスありきですし。
なら大きな事業を誰かやってよってなっても、そりゃあ個人でそこまでのリスク取れないですよね。少し資金繰りミスったり思惑から外れたことが起こったらもう破滅。最悪家族や親類縁者にまで迷惑をかけかねませんよ。てか規模によったらもう返済とか数世紀かけても無理ゲーですわ。まぁ返す前提自体おかしいですが。自己破産しかねぇよな。
上場してなくてもある程度の規模の会社は株式会社(かそれに近い)形態ですもんね。
そうやってリスクを株主に分散しないととても負えるものではありません。
そう思うと、株主であることにも社会的な意味があるのかもと思えてきました。
なんせ別に起業時点から投資していたわけでも無く、
単に他の株主から株を買ったに過ぎない(その取引で会社にお金が入るわけでは無い)のに、なんかそんなリスク負ってるって社会的に意味あるのか?って思ってましたが。
単に渡した資金による経営権の切り売りというだけでは無く、
その会社の事業に対するリスクそのものを分散して配っているとすれば、買い取った事にも意味があるのかもしれない。
まぁ、だからなんだって話ですが。
少なくともQQQだのCXSEだの買っても別にリスク引き受けてる気はしねーな。
そんなにリスク感もない。
でもセルシウスはリスク引き受けてるかな。
そういう意味ではやっぱり小型は株式投資の醍醐味ですね。
セルシウスの事業のリスクの一部を引き受けて、勝利を祈る。
神頼みは俺に任せろ。
いま最高に株式投資してるぜ。
いや、まぁ儲かればどうでも良いですがね。
そんな変態チックな投資感よりお金が欲しい。
皆さんの切実な願いを感じる水辺であった。
水辺の投資ブログをこれからもチェックだ・・・・!!
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