超有名麻雀マンガ、「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」をご存知でしょうか?
この漫画の滅茶苦茶最初の方に、勝負の質についての話があります。
曰く、賭けるものがあるか無いかで決定的に勝負の質は変わるのだと。
賭けるものがないか、無いに等しいときは、
勝負を制するのはセンスと集中力に長けた能力の高い者だと。
しかし大金や身体や生命が賭けられた勝負では、それだけでは絶対に勝てないと。
いくら相手の手が読めても、その読みを自分で信じられなければ無意味、
その読みに自分の運命をあずける器量がなければ無意味、と。
いやぁ、
良い言葉だなぁ・・・・・。
麻雀をやったことがない人もいるかもしれません。
アレね、めっちゃ運要素強いです。
完璧に打ったとしても負ける時は負けます。
ただ、ミスしなければ勝てたという場合も当然ありますし、
経験を積んで頭を使って打てば、大きく負け続けたりはしないのかもしれません。
まぁ、運要素は強いけど、上達の余地はあるということですね。
ところで。
投資はどうでしょうか?
株式投資はギャンブルじゃない、賭博と一緒にすんなという怒りの声が聞こえてきそうです。
もちろん、賭博とは少し違う気もします。戦う相手もいないですしね。
しかし、不確実性にお金を賭けているという点で、大きく共通する部分があるのではないでしょうか。
デモトレードでは勝ってたのに、実際に投資したらボロ負け・・・みたいな話を聞きます。
要因は色々あるのでしょうが、やはりお金がかかっているかどうかは、投資の決断に対する負荷を各段に上げます。
そう、「上がりそうな銘柄」を調べて見つけてくることは、案外簡単なのです(暴論)
難しいのは、その「上がりそうな銘柄」に身銭を大きく張って命運を預けられる胆力。
投資家としての器量ですかね。
実際、少し市場が下がった時は、ツイッターでも買い時という言葉が躍りますが、
理屈で言うと滅茶苦茶買い時である暴落時には、むしろ相場が反転するまで市場から離れるとか、ノーポジだとか、今は動かないべきだとか、そういう呟きに満たされます。
理屈に合わない。
もしただのゲームでお金が一切減らないなら、むしろ間違いなく踏み込んでくるような場面での撤退を決める人は多いです。
頭では分かっていても、その分かっていることが外れる可能性を想像しない人は少ないです。特に大きなお金を賭ける場合は。
それは当然だし、むしろとても健全なことだと言えます。
しかし、投資で大きく資産を伸ばし、市場平均を大きく超えるパフォーマンスを得たいのなら、どこかで大きな勝負をしなければなりません。
バリューでも、モメンタムでも、なんでも、かんでも。
結局のところ、そこまでして大勝ちを狙いたくなければ、インデックス投資とかに落ち着くわけです。
実際、理論的に堅実に、地道に行きたいのなら、全世界株式等インデックス投資が一番素晴らしいと思います。
僕は本当にここ最近は、冒頭のアカギに出てくる言葉の通り、
勉強して、理論を磨いて、研究に研究を尽くしても、
それを自分で信じられて、大金を投資できる器量が無いととても市場には勝てない。
と思うようになりました。
結局いつもの通り、
アクティブ投資に必要なのはクソ度胸という話です。
なので、
めっちゃ上がったのに、分かってたのに、
ほんのちょっとしか投資してなかった(泣)
とか、
ずっと目をつけてたのにな~
あと少しで投資してたんだけどなぁ~~
とか、
みたいなのは、本当に良くあることなんですが、
結局それが自分の器量だと考えて、限界を感じたらインデックス投資にしてみたり、
あるいはクソ度胸を身につけるために修行したり(具体的に何をすれば良いかは知らんが)
すれば良いんじゃなかろうか。
結局投資の勉強を活かすにも器量が必要なのかもしれない。
水辺も、名前の強そうな企業に大金を賭けるという、
理論的でありながら蛮勇という圧倒的な投資を行っていますしね。
水辺の計算しつくされた投資も、蛮勇あってこそなんだなぁ・・・・。
まぁクソ度胸で失敗しても水辺は責任取らんけどな。
そこはあの・・・堅実に行きましょう。
・・・・・・。
・・・・・・・・。
Comments